ま え か わ も と し ろ
前川本城(中ノ内城)

| 所在地 | 宮城県柴田郡川崎町前川 |
| 形式 | 山城 |
| 主な城主 | 砂金(いさご)常久 |
| 遺構 | 曲輪・空堀・土塁・石積 |
| 指定・選定 | なし |
| 訪城年月日 | 2025年10月24日 |
| 満足度 | A B C D E |
| 登城難易度 | A B C D E |
| 車での登城 | 不可 |
枡形虎口②
虎口①


枡形虎口③
馬出曲輪の石積


馬出曲輪
馬出曲輪(案内板では桝形曲輪)


本丸空堀
本丸空堀


本丸土塁・空堀
本丸東(大手)虎口


本丸土塁
本丸跡


本丸跡
本丸南(搦手)虎口




二の丸跡
二の丸跡


二の丸搦手虎口
搦手枡形虎口
空堀
空堀






空堀


空堀
空堀


南側登城口
~登城口は城の東側(大手口)と南側(搦手口)の2箇所あり、
南側から登城した。東屋の奥から登城する~
南麓の町道沿いにある城の説明版
~説明版脇のスペースに駐車し、矢印方向へ1分ほど歩くと
登城口に着く~




本丸跡に立つ案内板

砂金氏の祖菅原砂金蔵人常重公は、延元年間(1336~1339)南朝年号(北朝年号建武3年・4年)浪士として奥州に来て、砂金邑の
守護人となり、文明年中(1469~1486)伊達家に仕え、天正2(1574)年7代まで砂金邑で豪族として勢力を張り、天正3(1575)年8代
摂津守左衛門常久公の時、砂金城より前川中ノ内城に移り、天正年間以降江戸時代初め頃まで砂金氏が居住していた。
その規模は、平場3ヵ所、土塁、空壕、枡形、壇状遺構などが高さ60㍍、東西に延びる丘陵の東端部頂上に面積が東西南北200㍍にも
及ぶ大型の城郭が構えられ、東西130㍍南北100㍍ほどの長方形平場が本丸で、東、南、西の3面に土塁、その外側に空壕を築き、二重の
防御が施されている。北面は垂直な断崖となって天然の要害となっている。その南山腹には数百㍍にわたり城郭を取り巻いて東西に伸びる
空壕は特筆すべき遺構で、中世連郭式山城である。
11代砂金右衛門右兵衛実常(常房)は伊達一族となり、川崎館を築き、初代川崎館主となり移住に伴い、中ノ内城は廃城となったので、
この城を「本城」と称し、ここ一帯の地名ともなっている。
<現地案内板より>
前川本城
空堀
空堀
空堀
南側登城口
金山城
二の丸土塁(内側)
二の丸土塁(外側)

登城口から入るといきなり見事な空堀が現れる