宮津城

| 所在地 | 京都府宮津市鶴賀 |
| 形式 | 平城 |
| 主な城主 | 細川藤孝・細川忠興・京極高知 |
| 遺構 | 太鼓門・石垣 |
| 指定・選定 | なし |
| 訪城年月日 | 2026年2月17日 |
| 満足度 | A B C D E |
| 登城難易度 | A B C D E |



太鼓門(現存)
〜明治時代に宮津小学校に移築され、現在も小学校の正門として使用されている〜


近世宮津城は、天正8年(1580)細川氏(藤孝・忠興)の入国築城にはじまり、次いで入国した京極氏が藩主高広の代に拡張・完成した。
細川城の竣工はその入国1、2年の後とみられ、京極城の完成は寛永年間と伝えている。京極城の城縄張は、本丸・二ノ丸・三ノ丸を備え、
古絵図等により、今の町割にほぼ対比させることができる。細川城の規模はよくわからないが、少なくとも本丸部分の縄張は重なりあう部分
が多いと推測される。
右後方の巨石は、この南方80メートル余りのところにあった本丸入口くろがね門の袖石垣の1つである。その前のくぼみのある石は大手橋
橋脚の礎石、その左の横にある波状の石柱はこの北側波止場の船つなぎ石である。現存する宮津城構築物の遺構としては、この南方10
メートルのところに本丸北部石垣の一部が地上に顔を出している程度である。しかしながら、地下にはかつての宮津城を偲ぶことが出来る
石垣等の構築物が今も遺存し、発掘調査によりその様相をうかがい知ることができる。当地は宮津城北西部の二ノ丸地内である。
<二の丸跡案内板より>
宮津城
三の丸跡
二の丸跡
〜宮津城の説明版と石垣の石が設置されている〜
大手川沿いに復元された城壁
太鼓門説明版(拡大可)