かねやま

陸奥金山城

 所在地  宮城県伊具郡丸森町金山
 形式  山城
 主な城主  中島宗求(伊達政宗家臣)
 遺構  曲輪・石垣・土塁
 指定・選定  町指定史跡
 訪城年月日  2025年10月22日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B  D E
 車での登城  不可

三の丸土塁

本丸下段

本丸跡

本丸跡

本丸跡

本丸からの眺望

本丸からの眺望

本丸へ

二の丸跡にある馬屋跡

        二の丸跡(本丸東下)
~本丸を取り囲む腰曲輪のような形状である~

            本丸下の分岐点
~左に行くと高石垣へ、中央の坂を登ると本丸に至る~

          西麓にある金山神社の入口
~階段を登りきったところに神社があり、その脇から登城道
が付いている~

          八風吹不動堂
~天正年間に城の守り神として建立された~

三の丸跡

三の丸大手埋門跡(内側から)

米蔵跡

神社横の登り口から3分ほどで平場に出る。米蔵の跡らしい。

金山神社

神社の左手に登り口がある

金山城遠景

金山城は、標高117mの独立山地を利用して造られた山城である。この城は、永禄年間に相馬の家臣井戸川将監・藤橋紀伊が築城したと
されているが、天正4年(1576年)以降、この城をめぐって伊達と相馬の間で激しい攻防があり、天正12年(天正9年伊達政宗初陣)になって
ようやく伊達に帰属することに決まった。伊達政宗は、この戦に最も手柄のあった家臣の中島宗求に、この城と金山本郷・大内・伊手の三邑
(2千石)を知行地として与えた。天正16年には、相馬に備えて本城や南の山居・黒森山の各所に、新たな石塁・土塁・堀切などの防護施設を
造り、一段と強固な構えに改築を行った。本丸には居館が建てられ、周辺の平場には兵具庫・煙硝庫・馬屋を配し、これらを囲む土塀や埋門、
陸橋などが設けられた。家中屋敷や町場は、山麓に配置された。280年間続いた城は、明治維新後取り壊された。

   初代  中島宗求  金山城攻略、新地の戦、人取橋の戦、葛西大崎一揆の鎮圧、文禄の役に戦功をたてる。秀次事件の際、政宗の潔白を
              豊臣秀吉に直訴し許される。
   2代     宗勝  大坂夏の陣に出陣する。
   5代     宗盈  仙台藩奉行職となる。
   7代     成康  同
  13代     恒康  尊王護国を唱え、藩の佐幕派と論争して敗れ閉門の罰をうける。
  14代     信成  戊辰の役に出陣、維新後七十七銀行を創設する。
                                                                          <現地案内板より>

金山城

INDEX

本丸大手門跡

本丸切岸

二の丸跡(本丸西下)

本丸東下の高石垣

本丸東下の高石垣

本丸東下の高石垣

出丸跡

出丸跡

煙硝蔵跡

三の丸大手埋門跡(外側から)

 概説

本丸を目指して大手道を行く

         米蔵周辺に展開する曲輪群
~奥の一番高い所が米蔵跡である。また、この撮影場所は
城の大手道にあたり、もう少し下ると大手登城口がある~