新府城

 所在地  山梨県韮崎市中田町中條上野
 形式  平山城
 主な城主  武田勝頼
 遺構  曲輪・土塁・空堀・水堀
 指定・選定  国指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日   @2000年3月20日
 A2026年4月20日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C  E
 車での登城  不可

城跡遠望

東出構えと水堀跡

丸馬出

復元整備された大手枡形虎口と丸馬出

枡形虎口

登城口にある説明版(拡大可)

二の丸跡

二の丸跡

二の丸跡

武田勝頼霊社の傍らに並ぶ家臣の慰霊碑。
内藤昌豊や原昌胤らが名を連ねる。

          登城口
〜この階段を登りきると本丸跡に着く〜

県道17号線沿いに登城口がある

新府城想定復元図

新府城

  新府城は武田勝頼によって天正9年(1581年)2月に築城着手され、その完成したのは同年12月であった。それまで甲府躑躅崎の館城に
あった勝頼は四囲の情勢から考えてこの天険を利用する以外に方策がなかったのである。しかし時すでに遅く天正10年3月3日織田軍の侵攻
を前に自ら城を焼いて東方、郡内領岩殿城を指して落ちた悲劇の城跡である。本城は南北600米、東西550米、外堀の水準と本丸の標高差
80米。型式は平山城で、石垣は用いない。最高所は本丸で、東西90米、南北120米。本丸の西に「シトミの構え」を隔てて二之丸があり大手
に続く。堀は北西から北、北東へと巡り、北方の高地からの敵襲に備えて、十字砲火を浴びせるための堅固な2ヶ所の「出構え」が築かれている。
「シトミの構え」、「出構え」は新府城の特色で防御のために工夫されたもので特に「出構え」は鉄砲のような新鋭兵器を持って敵の攻撃に対抗する
ために工夫された構えといわれる。
                                                                           <現地案内板より>

INDEX

枡形虎口

「大手」 説明版(拡大可)

枡形虎口

         東三の丸跡
〜整備されておらず立入りできなかった〜

         西三の丸跡
〜整備されておらず立入りできなかった〜

二の丸土塁

蔀の構(しとみのかまえ)

本丸跡にある武田勝頼の霊社

本丸跡

 概説

三日月堀

三日月堀

本丸跡

本丸跡

本丸跡に建つ藤武神社