し ろ い し

白石城

 所在地  宮城県白石市益岡町
 形式  平山城
 主な城主  蒲生郷成・甘糟景継(清長)・片倉景綱
 遺構  二ノ丸大手二ノ門(移築)・曲輪・石垣・土塁・
 井戸
 指定・選定  市指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日  2025年10月23日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B  D E
 車での登城  不可

本丸大手門下の石垣(平成7年復元)

片倉景綱墓所の説明版(拡大可)

一本杉の側らにある奥方の墓

                     片倉景綱の墓
~景綱は墓標には墓石は使わずに一本の杉を植えるよう遺言したと言われる~

片倉景綱の墓へ

片倉景綱の銅像

城主・片倉景綱の菩提寺である傑山寺(白石市南町)

二の丸跡から見た三階櫓

二の丸跡

二の丸跡

裏御門跡

未申櫓の基礎石

本丸南西隅の未申(ひつじさる)櫓跡

三階櫓から本丸を見下ろす

三階櫓3階の廻縁(まわりえん)

三階櫓内部(3階)

三階櫓内部(1階)

三階櫓

三階櫓

本丸外側から見た三階櫓(平成7年に石垣と共に復元)

本丸鐘堂

本丸井戸

本丸跡

本丸跡

                本丸跡
~本丸には、仙台藩主伊達家が宿泊するための「御成御殿
(おなりごてん)」、城主片倉家が公式の対面を行う「表御殿」、
城主の私的な居館であった「奥向御殿(おくむきごてん)」など
が建っていた~

三階櫓と本丸大手二ノ門

三階櫓と本丸大手一ノ門

本丸大手一ノ門(平成7年復元)

本丸外側の曲輪

           二ノ丸大手二ノ門跡
~東口門とも呼ばれ、門は市内(白石市本町)の当信寺に
移築されて現存している~

            二ノ丸大手一ノ門跡
~ここから登城する。車道が通っているが一般車両の進入は
禁止されている~

白石城案内図

  天正19年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は城下町
を含む城郭、白石城を築城し城主となった。
  慶長3年(1598)上杉領となってから上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。
  慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣である片倉小十郎が大改修
を行い、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となった。
  白石城は標高76メートルの最頂部には本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪、中段には沼ノ丸・南ノ丸・巽曲輪・帯曲輪・厩曲輪を置き丘の上に
館堀川を巡らし、南は空堀で丘陵を切断、館堀川を隔てた平地には三ノ丸・外曲輪を配置した平山城である。本丸は高さ9メートル余の石垣
の上に土塁を囲み三階櫓そして巽櫓・坤櫓・大手門・裏三階門を構え、御成御殿・表・奥の諸建物があった。二ノ丸以下はすべて土塁で囲み、
木柵をまわした崖を利用する等中世と近世城郭を併用した縄張であった。
  元和元年(1615)の一国一城令以後も仙台藩は幕府から青葉城と白石城の2城が許され、明治維新には奥羽越31列藩同盟がこの城で
結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転期には一役を担う
重要な城であった。
                                                                         <現地案内板より>

白石城

INDEX

本丸南辺の土塁

本丸外側の井戸

 概説

辰巳櫓の石垣

本丸南東隅の辰巳櫓跡

本丸大手二ノ門(平成7年復元)

                       本丸石垣
~本来は土手の上端まであったが、明治時代に解体されて基底部のみが残っている~