た か ら べ
「沿革」
もと財部城といったが、後、高鍋城に改め通常は舞鶴城と呼ばれている。
平安時代中期(斉衡年間854年-857年)土持氏の所有となり、在来の山城を補修しここにおることおよそ600年に及んだ。
長禄元年(1457)伊東氏の所有となりその四十八城の1つとして、武将落合民部がこれを守った。およそ120年の後、天正5年伊東氏を
破り島津氏の所有となった後、天正15年(1587年)島津氏は豊臣秀吉に降伏し同年7月、秋月氏の居城となり約280年、明治の廃藩に至る
まで続いた。
寛文9年(1669年)6月、秋月氏3代藩主種信が「財部」を「高鍋」と改め居城の修復に着手。岩坂門 石垣 城堀 大手門 本丸等数年を
要して完成。近世の城の様式を備えるに至った。
「構造」
天然の要害を巧みに利用し丘の中腹に心臓部の本丸を設け、一段下った平地を二の丸とし、更に下ったところを三の丸とし、北・南・東を
掘で区切り、西は背後の山に野首堀切りを設けた。
「史跡」
旧城内は、現在舞鶴公園として整備され舞鶴神社、護国神社、石垣、堀、国指定天然記念物の「高鍋のクス」をはじめ次のような社寺や
建造物の跡、各種記念碑等史跡が多い。
天然記念物 1
社寺跡 8
歌碑 2
建造物跡 12
各種記念碑 10
合計 33
<現地案内板より>
財部城
高石垣
~本丸のさらに上段には高石垣が残る。石垣の上に三層櫓
が建っていたとされる詰の丸があるが、工事のため立入禁止
となっていた~
二の丸から本丸に続く石段
二の丸から本丸に続く石段
財部城(高鍋城)
所在地 | 宮崎県児湯郡高鍋町上江 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 落合兼朝・秋月種長 |
遺構 | 曲輪・石垣・堀・土塁 |
指定・選定 | 町指定史跡 |
訪城年月日 | 2025年3月21日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
高石垣のある曲輪には土塁も残る
高石垣
本丸奥部に建つ護国神社
本丸政庁・奥御殿の説明版(拡大可)
本丸跡
~江戸時代には本丸御殿が建っていた~
長峰門跡
~本丸への入口である~
本丸切岸
二の丸跡に建つ舞鶴神社
二の丸跡
岩坂門跡
~二の丸への入口である~
舞鶴公園案内板
本丸跡