鳥坂城

二の丸跡

 所在地  新潟県妙高市大字姫川原
 形式  山城
 主な城主  桃井氏(上杉謙信家臣)
 遺構  曲輪・堀切・竪堀・横堀・土塁・土橋・井戸
 指定・選定  市指定史跡
 訪城年月日  2025年5月28日
 満足度   B C D E
 登城難易度  A B  D E
 車での登城  可(高床山森林公園キャンプ場まで)

本丸背後(南側)の四重堀切

南郭の横堀

南郭の横堀

南郭の虎口

南郭の土橋

南郭の土塁

南郭の堀切

本丸背後の堀切

       本丸背後の堀切
~堀切は竪堀となって下へ落ちている~

本丸背後の堀切上部

本丸背後の堀切(ハシゴ上は本丸)

本丸背後の堀切

      本丸背後の堀切
  ~驚異的な深さ、鋭さである~

本丸からは高田平野が一望できる

本丸跡

本丸跡

本丸跡

本丸跡

本丸虎口

二の丸土塁

二の丸跡

二の丸虎口

三の丸土塁

三の丸跡

本丸方面へ

三の丸虎口

竪堀

狼煙台跡

                登城口
~ここから本丸跡まで徒歩で約20分。尾根道をほぼ平行に
進むため比較的楽にたどり着ける~

  登城口に設置されている案内板(拡大可)
~登城口はキャンプ場第四駐車場の奥にある~

高床山森林公園キャンプ場にある城跡案内板

鳥坂城

INDEX

  鳥坂城は別名高城、鶏坂城ともいい、標高527mの高床山北尾根の先端部、鳥坂山(標高347m)に築かれた山城である。南隅に文久元年
(1861)に建立された「鳥坂城址碑」がある。建仁元年(1201)に、農民の苦しさを救うために反乱を起こした城資盛と鎌倉幕府軍の佐々木盛綱
の戦いがあり、美人で弓の名手として知られている資盛のおばの板額御前が、幕府軍の武将を得意の弓で困らせたという伝説がある。
  本丸跡からは高田平野が一望できる。
                                                                          <現地案内板より>

 概説

本丸背後の堀切

三の丸跡