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梁川城

 所在地  福島県伊達市梁川町鶴ケ岡
 形式  平山城
 主な城主  伊達成宗・尚宗・稙宗
 遺構  石垣・土塁
 指定・選定  国指定史跡
 訪城年月日  2025年10月23日
 満足度  A B C  E
 登城難易度  A B C D 

浅間神社説明版(拡大可)

浅間神社社殿

庭園に隣接する浅間神社(せんげんじんじゃ)

石垣背後の土塁

石垣は蒲生氏または上杉氏時代のものと思われ、
石垣上には櫓が建っていたようである。

「心字の池」の背後には石垣が残る

本丸跡に復元された中世庭園 「心字の池」

本丸跡

                本丸跡
~本丸跡には梁川小学校があったが、東日本大震災で被災
したため、平成27年に他所へ移転した~

  梁川城は、伊達氏によって、鎌倉時代に築城されたとみられる。城跡からは13世紀後半よりの遺物が出土しており、14世紀末に活躍した
大膳大夫政宗のころには、本城として使用されていた可能性がある。以後伊達氏は室町幕府との関係を深めつつ、持宗・成宗と勢力を拡大、
大永3年(1523)伊達稙宗が陸奥国守護に補任されるに及んで、梁川城は奥州の政治的中枢を占めるにいたった。天文元年(1532)稙宗が
本拠を桑折西山に移してからは、伊達領国の重要な支城となり、天正18年(1590)蒲生氏の支城、慶長3年(1598)上杉氏の支城となった。
そののち寛文4年(1664)廃城とされたが、文化4年(1807)から文政4年(1821)の間は松前章広の本拠地となった。
  明治32年に梁川小学校が本丸跡に移転し、第二次大戦以後は二の丸の地に中学校・高等学校などが建設され、城跡の景観は変えられ
たが、なお本丸跡土塁・同庭園・桜館跡(新公園)・三の丸跡などに往時の梁川城の姿が残されている。
  これまでの発掘調査によると、本丸跡からは、主殿など数期にわたる25棟以上の中世建物跡・堀・井戸・石敷などの遺構、及び陶磁器片・
中国銭などの出土品が発見され、伊達氏以来の居館の存在が確認された。庭園も伊達氏居城の時代にまでさかのぼることが推定され、現存
する城郭本丸の庭園の全国稀有の例として極めて貴重である。
  三の丸は、上杉期の慶長4年(1599)ごろまでに整備を終えたものと推定され、当時は侍屋敷がおかれた。現在土塁・堀などが残り、梁川城
の現存する重要な部分である。
                                                                          <現地案内板より>

梁川城

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本丸跡

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